プロフィール

福島孝志(フクシマタカシ)

 

工場勤務だった自分は毎日機械と向き合う日々で未来の見えない先々を日々感じていた。

昔から人と話をすることが好きでいつか接客の仕事をしたいと思っており、タウンワークにケータイショップの応募があり、自分の苦手分野であるケータイショップで働くことした。

長髪・カラコン・ジーパン・Tシャツで面接に行く様な非常識な人間だったが奇跡で採用されることになった。

見た目とは裏腹にすぐに実績は出て2ヶ月目にはお店でトップになる。

自分目線だった自分だったが、相手目線へ立てるように成長して店長になった。

その後、売り上げの悪いお店の立て直しや新店の実績好調から数店舗を任されるエリアマネージャーになる。

 

接客を更に極めるため、DaiGoのメンタリズムに興味を持つ。

心理学を徹底的に勉強し、自分の接客力のエビデンスとして教育のツールとして活用出来るようになる。

現在は接客販売をしながら販売の苦手な子たちをサポート・教育している。

自己紹介

●名前

☆福島孝志(フクシマタカシ)

●生年月日

☆昭和63年3月25日生

●出身地

☆熊本県

●趣味

☆読書や新しいことの勉強

●長所

☆ハマると誰にも止められないくらい没頭すること(極めてしまう)

☆誰とでも気軽に話すことが出来る

●短所

☆飽きると早い、何もしなくなる

☆怒ると怖い(と言われます)

●特技

☆人格が変わったくらい没頭出来ること

●好きな食べ物

☆牛タン・お寿司

●嫌いな食べ物

☆あり過ぎて書けない(笑)

職歴

●ダイハツ工業株式会社

●鳶職

●ニート

●ケータイショップ

ダイハツ工業株式会社の軌跡

高校卒業後に滋賀県にあるダイハツ工業へ就職

商業高校だったため、工場での資格は何も持っていない自分でしたが、人と話をすることだけは得意で、大阪での面接後にダイハツの上層部の方が学校まで出向き、面接が非常に良かったと学校で大きく話題になった。

それもあり、しっかりやろうと意気込んで入社を迎えることになった。

当時入社1,000人という大手でも非常に多い入社人数となった。

しかし、入社当時は遅刻ばかりでダラしない人間で何も考えていない日々だった。

それでも上司からは可愛がってもらうことが出来て1年目からリーダーを任された。

1年目で同じ仕事をしている同期はおらず、成長スピードは一気に加速した。

ハマれば自分はとことんハマるタイプで機械のプログラミングを勉強することに。

 

機械の動きをプログラミングすることにより動きが変わることが楽しかった。

部署の中でもプログラミング出来る人が居なかったため非常に優越感に浸った。

しかし、毎日機械と向き合う日々に退屈を感じてきた。


その時の生き甲斐は「仕事」ではなく、「車」であった。

とにかく車の改造にハマっておりイベントに行く日々。

雑誌にもたくさん載ることが出来て車業界では少し有名になっていた。

 

 

ゴリゴリの改造車(笑)

ベタベタの車高だったが、運転が楽しかった。

これ以外に多数の全国雑誌に掲載をさせて頂くことが出来た。

この時から何事にも全力で、一度ハマると抜け出せないような性格であった。

そして、この時に色々と人脈を広げることが出来て人間としても非常に成長することが出来た。

 

その後、今後の自分の在り方へ考える様になり

「自分は人と話す接客仕事がしたい」

そう思うようになってきた。

6年勤務し、同期でも誰よりもボーナスや昇格は早かったが、それを蹴ってまで退職をした。

 

滋賀から埼玉へ

大手のダイハツを辞め、埼玉へ行くことになった。

心機一転がんばろう!って時に埼玉へ行く際のガソリンスタンドで財布を盗まれ無一文になった。

免許証も、保険証も、カードも、お金も、住民票も何も無い。

無い無い状態で埼玉へ向かうことになる。

ドン底になってしまったが鳶職を始めることに。

鳶職の軌跡

 

その時、A-TEAMグループ所属の伊藤英明に憧れてA-TEAMグループへ所属。

芸能事務所に所属しながら伊藤英明がやってきたことを真似しようと鳶の仕事を始めることに。

正直、力には自信が全く無かったが苦手な分野に挑戦しようという意気込みだけは強かった。

1年ほど働いたが、鳶の人間の口の悪さや節度の無さから嫌気が差して退職。

 

その後、ぐーたらのダメ人間になる

 

ニート時代の軌跡

鳶を辞めた後は、芸能界にも飽きを感じてトレーニングにも行かなくなる。

毎日麻雀やモバゲーのワンピースグランドコレクション(略してグラコレ)にハマり込むようになる。

朝起きてゲームを夜中までやったり、雀荘に行き夜まで麻雀をしたりと本当にダラしない日々を繰り返していた。

そのゲームの中でも少し名前が売れ、部下を持つことになる(笑)

これをただのゲームではなく何か出来ないか?

と考えるようになり、トレード機能を使用しトレードでお金を稼ぐ様になる。

レートも自分で作る様になりドンドン部下が増えてきた。

レートの低いフィギュアをかき集め、トレードで高値の物を手に入れ、ヤフーオークションで売りさばく。

元々、高校生時代から安く買って高く売ったりと無意識的に今のメルカリのようなことをしていた。

今では当たり前だが当時はメルカリはなく、オークション自体そんなに普及していなかったがその当時から活用をしていた。

「自分は本当は何をしたいのか?」

自問自答するようになった。

オークションで200万ほど稼ぎ、ニート時代に終止符を打つ。。。

その後グラコレの部下から一緒に美容の仕事をしたいと言われる

接客は好きだが、やったこと無いし販売なんてもちろん何もわからない。

だけど、その部下は必ず売れるから一緒にやろうと強い想いに押され、、

数ヶ月後(翌年の4月から )に約束をし、その間に就職活動をしていた。

タウンワークでの出会い

友達には誘われたが、その間の仕事を繋ぎでやろうと思っていた。

その時、家の近くにあるケータイショップからタウンワークで応募が出ていた。

「店長が困っている!」(そんな紙面だった笑)

と直感で思った。

ケータイはガラケーしか無いし、覚えること多くて正直面倒臭そうだったけど

「苦手な分野でトップを取ったらカッコ良いよな!」

と思い意気込んで面接を希望した。

 

当時の服装(面接の時じゃないよ!笑)

とにかくチャラく、本当にナメている格好だなって思った。

長髪で、カラコンはブルーやパープル、Tシャツにジーパンのチャラ男のような格好で面接に当たり前に行ってしまうんだからね。

普通絶対落ちるのに何故か「受かる」って思ってた自分を褒めてあげたい!笑

もちろん、採用になった。

そこから通信業界がスタートした。

 

ケータイショップの軌跡

2013年6月付けで入社することになった。

iPhone・Wi-Fi・Bluetoothなど何も知らない状態からの開始。

本当にガラケーしか持っていなかった。

 

とにかく目立ちたい、とにかくトップを取りたいって思うようになる。

「みんなを超えるために1ヶ月とにかく死ぬ気でやって超える」

ずっと考えていた。

毎日夜遅くまで仕事に没頭し、帰れば勉強、休みの日もお店に来て勉強の勉強漬けの1ヶ月を過ごした。

 

その甲斐もあって初契約でフルオプションの獲得や2ヶ月目でお店の台数もトップになることが出来た。

3ヶ月目になり、当時の店長と1ヶ月間実績の勝負をすることになり勝利した。

提案のしやすいツールの作成をしたり、ロープレを教える側になっていった。

 

2014年7月

新しいお店が出来ることになり新店のスタッフとして行く。

1年経ってもなかなか店長には慣れなかったが、新店に行ったことがキッカケで部下や後輩のことも考える店長としての考え方が身についてきた。

会社で大きな事件

会社で大きな事件が起き、スタッフがドンドン辞めて行くようになった。

今では10人いるお店なのに2.3人ほどしか居ないお店になった。

自分の実績のことしか考えていなかった自分だったが

「部下を護る」

このように想うようになった。

それもあって、11月から店長を任命されることになる。

 

毎月予算未達店舗の立ち上げ

最初に任されたお店は当時居た大きいお店の店長ではなく、毎月予算が未達のお店だった。

正直残念だった。

しかし、環境を変えるのが自分の役割だと前向きに考えた。

また、全員が社員ではなく、アルバイトも2名おり意識が自分と違いマイナス発言が多かったためその人達と一緒に仕事が非常に辛かった。

とにかく必死で自分の力を最大限発揮させた。

その甲斐もあって連続未達店舗が店長になった月は達成することが出来た。

 

同時に2店舗を見ることに

12月になった時、他のお店もガタガタになっていた。

店長になって何も余裕が無かった自分が社長へ言った。

「○○店も僕が見ても良いですか?」

根拠もない自信だったが、社長は即答でOKしてくれた。

本当に何も出来ない自分だったが、自信はあった。

2店舗管轄してどちらも非常に大変だったが、新しいお店の方が超絶に大変だった。

クレームが多く、店舗のスタッフもやる気なく、終わったら定時で帰る。

お客様のクレーム処理が多く、お客様から蹴られるスタッフも居たくらいだ。

 

どん底からのV時回復へ

いつか見える明るい未来を見ながらがむしゃらに働いた。

来る日も来る日もクレームで、実績も上がらなかった。

そこで気付いた。

そうだ、教育が出来ていないんだ

そうです、教育が出来なかったんです。

今までそういうことを教えてもらっていないため自分が出来るから周りも出来るだろうと思っていた。

そこに気付き、「教育」と「共育」に力を入れることに。

みるみるうちに実績が上がり、クレームも減っていった。

気付いたらみんなが自立し、今までの200%ほどの実績になり優秀店舗の仲間入りに。

そして時は来た。

車を改造している時に当たり前のように来ていた雑誌の取材。

それが車ではなく自分自身に!!

全国でも非常に有名な商業界

その商業界の取材をされたのです。

商業界 2015.4月号

商業界 2017.9月号

2回の掲載を頂きました。

編集長の笹井様からの紹介ブログ

接客・販売の心得10ヶ条

会社に入ってからは雑誌とは無縁だと思っておりましたが、自分の得意である「接客販売」の取材は非常に嬉しかったです。

次回3回目も狙っております。

新店舗赴任へ

優秀店舗に仲間入りすることができ、それは自分がいる間は継続された。

利益も3桁になり安定してきたところだった。

新店舗に行ってくれないか

新しく出来るお店を任せたいとのことだった。

非常に嬉しく即答をした。

そこは元々すぐ近くにあったケータイショップが売れなかったお店だ。

それを潰して新しく建て直すということである。

元々売れていなかった店舗だったが、自分には自信があった。

「自分なら大丈夫だ」と。

店長になり、初めての赴任でも実績を出した。

また、ボロボロのお店を立ち直した実績もあるからだ。

 

2016年3月31日

新しいお店が遂にオープンした。

ケータイショップは2年間はほとんど利益が出ないと言われるほどの利益の出ない仕事だが、このお店は1年目から黒字店舗になった。

●常に他の人と違うこと

●新しいことへの挑戦

これを常に実行して来た。

誰よりも動き、誰よりも考え、誰よりも働き、誰よりも成果を出す。

そのプロセスが成果となり、毎月黒字になり「旗艦店」になった。

 

2年が経ち、またまた転機がやって来た。

神奈川の2店舗の立ち上げ

新店舗の次は、埼玉から神奈川である。

しかし今回は違う。

同じ考え方を持った社員たちと立ち上げに行くのではなく、今あるお店を買い取り今ケータイショップで働く人たちと一緒に仕事をすることだった。

仕事が私事になっている人たちと働くことだった。

元々売れていないお店のためハードルは高いが、それが人まで付いてくるとなると更にハードルは高い。

僕の答えはこうだった。

「喜んで行きます」

このように即答で答えた。

正直、別に行きたいなんて考えても無かった。

会社が自分の力を必要としていると思ったからだ。

「チャンス」をあげたいよりも

「君にお願いしたい」「君しか出来ない」

そう言われた方が自分は価値を感じる人間である。

今回はそのように言われたから即答することが出来た。

これからは会社にすがりつくのではなく、自分の力で生きて行く必要がある。

その考えがない限り、今後の時代では淘汰されていくだろう。

自分の考えを持ち、自分で地力を付け、自分で生きていけるようにすること。

この考え方がある人たちが今後は生き残って行くはず。

AIでは出来ないことを自分たちが担っていく、AIを使用してより価値の高いものを創っていくこと。